最近のトピックス
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年収は単に学歴依存であってはならない

「噺家(はなしか)や関取になるなら大学を出るに限る」という世間(巷)の噂話を筆者も耳にしたことがあります。
いささか常識を異にしますが、まったく根拠のない話ではありません。

今や噺家(落語家)の何割が落研(大学の落語研究会)出身者で占められているのでしょうか。
相当数に上るはずです。
師匠の家に住込んで、何年かの下積み修業をしようとする奇特な新弟子は現代では極めて希でしょう。
それよりか、面白おかしく大学の落研で過ごした人材の方が師匠と弟子の双方にとって都合が良く、手っ取り早い、そこで自然と落研出身者の噺家(落語家)が増えたように筆者には思われます。
最近襲名した6代目三遊亭円楽(元の楽太郎)も、青山学院大学の落研出身だそうです。

相撲界では一時より減ったとはいえ、幕内・十両の関取(給料を貰える一人前の力士)中で大学卒は何人いるのでしょうか。
これも相当数に上るはずです。
大学の相撲部に所属しアマチュア相撲の大会で一定程度の成績を残せば、大相撲で「幕下付け出し」(十両(関取)直下の位)で、いきなりデビュー(初土俵)できます。
実力さえあれば、数場所で関取(十両)になれるという訳です。
つまり、相撲部屋に於ける下積み(付け人やチャンコ番など)はほとんど経験しなくて済み、一人前(関取)になれるのです。
ただし、大学の相撲部とはいえそこは体育会系、やはり彼らなりに厳しい下積みを経験しており、かつデビュー(初土俵)年齢は高く年齢的ハンデはあるのかもしれません。
大相撲(相撲協会)にしてみれば、アマチュア相撲で実績も人気もあり本人が自ら入門を希望しているのですから、願ったり叶ったり学卒の力士(関取)が急増したのです。

日本のプロ野球界ではどうでしょうか。
コーチはともかく、監督ともなると大学卒が多いようです。
これは本人の力量はともかく、球界のみならず各界との豊富な人間関係(前後・左右・上下のリレーション・シップ)が大きくものをいっているように思われます。

さて今、人材募集サイトで転職希望者のキャリアシート(resume)を閲覧しています。
記載内容が事実とすれば、概括的な傾向として実績年収と希望年収は学歴に依存しています。
つまり、同年代の転職希望者の実績年収と希望年収は、高学歴であるほど高くなっていく傾向にあります。
そこには、低学歴者には安易な仕事(職務)を与え、高学歴者になればなるほどより高度な仕事(職務)を与えるという、企業側の安易な事情があるかもしれません。
そこで筆者は、この傾向(安易な事情)に警鐘を鳴らしたいと思います。

古今東西、学歴などには無関係に大きな仕事を成し確固たる社会的地位を得た偉人は、世界・業界を問わず枚挙に遑(いとま)がありません。
当業界(IT業界)においても、学歴などものともせず第一線でご活躍の優秀な先輩・同輩・後輩を、筆者は多々見かけてきました。
プログラマー(エクスパート・スペシャリスト)のA氏、システムエンジニア(アーキテクト)のB氏、プロジェクトマネージャーのC氏、ITコンサルタント(セールスエンジニア)のD氏、等々です。
彼らは学歴が必ずしも高いという訳ではありませんが、いずれもりっぱな業績(実績)を既に残し、さらにまた残しつつあります。
共通しているのは、それぞれのフィールドで、先ず豊かなセンス(生来の能力)、次に旺盛な探究心、そして横溢する持続力(体力・気力)、を有する人達であると筆者は感じています。

公務員(官僚・官吏)の採用には、遠い昔中国で行われた官吏登用試験(科挙)の制度的流れが、今日必用なまでに伝承されています。
登用試験の種類でその後の出世コースが決まり、登用試験の結果がその出世に多大な影響を与えかねないということは、よく知られているところです。
少なくとも実業界(民間)にあっては、このように理不尽で不合理な採用人事はあってはならないと、筆者は信じます。
そこで当社は、“学歴不問”の採用方針をとっているのです。

経験とセンス、どっちが大切?

以下は、営業の呟きである。

「正15角形も遠くから見れば、円(○)じゃないですか! 曲がった(いびつな)な円よりずっと益しですよ。
ですから、何とか正15角形にご期待頂いて、そこんところを宜しく・・・・。」
ここで、円(○) − 正15角形 = 経験不足(未経験)となる。

今となっては、顧客に取って何と不躾な、当方に取って何と有難いセールストークであったろうか。
これで顧客が納得してくれた、実に大らかな時代の話である。
時は売り手市場、技術者にやる気とセンスが有れば経験(実績)何ぞはクソ喰らへ、人出が足りないのだから仕方がない。強気である。

では昨今の情況はどうであろうか。上述の情況とは様変わり、まったくの夢物語となってしまった。
現実は真に厳しい、の一言である。
顧客の提示条件(複数の経験スキル)が全て満されているのは、必須・最低条件で当り前、ここからが本当の戦いだ。

条件をクリアした多数の技術者が、少ない指定席を巡って競うことになる。
勝因は、往々にして第一印象(見てくれ、外見)であったり、人柄良好(穏やかな好人物)であったりする。 これは、顧客の人選に現場(開発部隊)以外の部署が関ってきているのも大きい。(以前はあまりなかったことだが)

ここに於いて、小社はまったくのビハインド(behind:劣勢)に立つ。 なぜなら、小社の技術者はそれはもう個性豊かで在らせらへ(いらっしゃって)、第一印象(見てくれ、外見)はともかく、決して人柄良好(穏やかな好人物)とはいかないのである。

と嘆きつつ、愚痴を溢しつつも、本論。
かく言う営業でも、本質論はわかっているつもりだ。
今ここに【経験】と【センス】をテーブル(表)にすると、次の4パターンが考えられる。
(1)経験があってセンスもある。
(2)経験はないがセンスがある。
(3)経験はあるがセンスがない。
(4)経験もセンスもない。
ここで、【経験】には“良き”も“悪き”も含まれていることに注目したい。
また、【センス】とは“生来の能力”と言い換えておこう。
(1)が望ましいことは言うまでもないだろう。(顧客満足度は高得点)(4)は、お話にならないので、脇におく。
さて問題は、(2)と(3)のどちらが大切(顧客に取って有益)かということである。 現在の顧客の大半は、経験さえあればという理由で、(2)より(3)を好む(評価が高い)ように思える。 その結果、センスのある技術者に対し、チャレンジできる貴重な機会が失われてしまっている。
我が営業は、この点に大いに憤っている。

「経験さえあれば、先ずは安全だ」という認識は、安易な思い込みから来る誤解でしかない。
これを打破すべく、(2)の技術者登用こそが真に有効な手段であることを説かねばならない。営業は顧客に説き続け、技術者は顧客に対し実績でそれに応える。それしかない。
だが、最初は経験がなくては顧客に採用して貰えない。これは大いなるジレンマだ。
当面営業は、喩え技術者が正15角形であったとしても、限り無く円(○)に近いn多角形(n>15)であるが如く吹聴するしかないか。

小社の現況

今年の桜である。
第一陣が開花してから真冬なみの寒さに襲われ、既に散り始めた花びらに異変が見られる。 普通は花びらが一枚一枚バラバラに散るのだが、今年は何と花びらがまとまって花の形のまま散って(落ちて)いる。 この光景を小社のこの1年半に擬えると、真冬なみの寒さが経済環境であり、花びらが各プロジェクトのメンバーということになる。 そんな中、真に忍びない心境ではあったが、小社は自らの経営を敢えて蓑虫(みのむし)状態に置いた。 その是非はともかく、春の日差しと共に小社は今正にその殻から外へ這い出ようとしている。

さて、経済状況(景況)を昨今の各種経済指標からマクロ経済的に眺めてみよう。

2010年3月15日に発表された内閣府の月例経済報告 によれば、
「景気は、着実に持ち直してきているが、なお自律性は弱く、失業率が高水準にあるなど厳しい状況にある」
更に補足として、
「先行きについては、当面、雇用情勢に厳しさが残るものの、企業収益の改善が続くなかで、海外経済の改善や緊急経済対策の効果などを背景に、景気の持ち直し傾向が続くことが期待される。一方、海外景気の下振れ懸念、デフレの影響など、景気を下押しするリスクが存在することに留意する必要がある。また、雇用情勢の悪化懸念が依然残っていることにも注意が必要である」
となっている。

2010年3月11日に同じく内閣府から発表された四半期別GDP速報(2009年10〜12月期)の2次速報値は、物価変動の影響を除いた実質GDP(Gross Domestic Product:国内総生産)が前期比0.9%増、年率換算で3.8%増となっている。

景気の現状把握及び将来予測に資するために作成された統合的な景気指標とされる景気動向指数(2010年1月分:改定値)が、2010年3月18 日に同じく内閣府から発表された。
主として景気変動の大きさやテンポ【量感】を表すCI指数(Composite Index)は、2005年を100として次のようになっている。

 先行指数:  96.7(景気の動きに対し先行して動く指標)
 一致指数: 100.1(景気の動きに対し一致して動く指標)
 遅行指数:  85.1(景気の動きに対し遅行して動く指標)

以上に対する同府の基調判断は、「景気動向指数(CI一致指数)は、改善を示している。(速報段階から変更なし)」 である。

2010年3月19日現在、日本銀行が2010年4月1日に発表する企業短期経済観測調査【3月短観】について主な民間調査機関12社の事前予測に関して、読売新聞による総括は以下の通りである。
「企業の景況感を示す業況判断指数DI(Diffusion Index)は、大企業・製造業、大企業・非製造業とも全12社が前回の12月短観からの改善を予想している。
DIは、景気が【良い】と答えた企業の割合(%)から【悪い】と答えた企業の割合を差し引いた値である。
大企業・製造業のDIはマイナス10〜マイナス17(12月短観実績はマイナス24)となり、4期連続の改善を見込んでいる。大企業・非製造業はマイナス14〜マイナス19(同マイナス22)だった。
アジア向け輸出の回復や政府のエコカー減税などの効果に加え、企業のコスト削減による収益回復が要因と見られる。
ただ、デフレによる企業収益の圧迫も加わり、非製造業の景況感はゆるやかな回復にとどまるとの見方も根強く、改善幅の見方にはばらつきも見られる」

2010年3月30日に総務省が発表した2010年2月の完全失業率(季節調整値)は4.9%と前月に比べて横ばいだった。
厚生労働省がまとめた2010年2月の有効求人倍率(季節調整値)は前月に比べて0.01ポイント上昇の0.47倍となり2箇月連続で改善したが、同省は「持ち直しの動きがみられるものの、依然として厳しい状況にある」と慎重な見方を示している。

以上から、経済状況(景況)は辛うじて “景気は底を打った”、“景気の二番底は回避された”というところであろうか。

次に、小社を取り巻く当業界の景況、及び小社の現況を眺めてみよう。

一昨年秋(2008年9月)のリーマンショック後、世界的な不況は半年後の昨年春(2009年4月頃)から当業界にもその影響が如実に現れてきた。 先ず大企業・製造業の不況により、組込・制御系案件がペンディングも含め皆無と思えるまで激減した。これに引きずられるように、大企業・非製造業の業務系案件も同様に激減した。
その結果、金融系業務を担っていた業者(SIer:System Integrator)や技術者(SE)が、他業務のマーケットに溢れ出したようだ。 更には顧客の新規業務展開(設備投資)に係る案件は極めて少なく、既存システムの改善(エンハンス)に留まっている。
以上の情況により、当業界は顧客に有利な買い手市場になってしまった。 単価低落の所謂デフレ現象が始まって久しいが、単価低落の基調には単価の牽引役であった金融・通信系業務の失速が見逃せない。 この情況下に於いて、顧客は当然、安全で安価な施策を志向することになる。 つまり新しい試みよりも、実績のある無難な方法で何とか安く上げようと考える。 業者(SIer:System Integrator)は大小を問わず、この潮流に乗ろうと経験重視の案件を模索する。

小社とてこの潮流に乗ることは、最早(もはや)已を得まいと思っている。 小社従来の戦略(潜在能力のある技術者をもって、未経験の分野に挑戦する)を一時脇に置き、当分の間は経験重視の案件を模索しようというのである。
そのためには、今後の要となる経験豊富で人柄の良い人材(技術者)を、数多く求めたいと思っている。

社長の右腕

学生の頃、関連科目として飛行力学を受講したことがある。 と言っても工学部航空学科の専門科目とは質と量において格段の差があり、飛行の原理を力学的に解きほぐした初歩・基礎の講義であった。 実際、具体的な話は紙飛行機やゴム動力による模型飛行機を例に取っていた。 従って読者諸兄の中にご専門の方がいらっしゃれば、何と曖昧で幼稚な議論をしているのだろうとお思いになることだろう。 しかしながら大筋において、以下の話は間違いないと思っている。

航空機(飛行機)は、胴体、主翼、垂直尾翼、水平尾翼、推進機(エンジン)等々から構成されている。 飛行とはエンジンの出力を推力と揚力に変え、安定を保って空中を進行することである。 現実には操縦士(パイロット)が主翼にある補助翼(エルロン)やフラップ、垂直尾翼にある方向舵(ラダー)、水平尾翼にある昇降舵(エレベータ)、エンジン推力等を操作して安定を保つのである。

しかしながら、飛行機は元来、安定状態を保持すべく、自らの姿勢を補正する能力を有している。 紙飛行機やゴム動力による模型飛行機を思い浮かべて戴きたい。そこには操縦士(パイロット)もいなければリモコンをする人もいない。それなのに安定飛行なのである。

一つの例を以下に示そう。 飛行機は必ずしも機首の方向に飛行するもではない。飛行方向に対し機首がそっぽを向いて飛んでいる状態がある。これは機体に横すべりが生じているからに外ならない。 この時、垂直尾翼には機首を進行方向に向けようとする働き(方向静安定【風見安定】)が生じ、結果として機種を左右に振るヨーイング運動が起きる。 同時に、滑っている側の主翼には揚力が増加する性質(上反角効果)があり、結果として機体が左右に傾くローリング運動が起きる。 この二つの運動が重なってご存じのダッチロール(運動)が生起する。 そして通常この運動(ダッチロール)は、次第に減衰し消滅して行くとされている。 即ち、垂直尾翼と主翼によって横すべりが自然に解消されるのである。

さらにもう一つの例を示そう。 飛行機は浮かぶ(翼の揚力を得る)ために、空気の流れに対し胴体軸を少し上向きにして飛んでいる。 この安定(つり合い)状態で飛んでいた飛行機に、何らかの理由で機首上げが生じたとしよう。 この時、水平尾翼と主翼には機首上げを減じつつ元のつり合い状態に戻そうとする働き(迎角静安定【縦の風見安定】)が生じ、機体は再び安定(つり合い)状態に落ち着く。 即ち、水平尾翼と主翼によって機首上げが自然に解消されるのである。 ちなみに[抗力(翼面積に比例)× 機体重心からの距離]のモーメントにより、この運動モードにおける水平尾翼と主翼の寄与度はほぼ同程度とされている。

さて、会社経営を航空機の飛行に見立てたらどうであろうか。 社員、役職者、執行役員、経営者の関係は、上記の主翼と水平尾翼、垂直尾翼の関係でありたいと常に思っている。 航空機が安定状態を保持すべく自らの姿勢を補正するように、社員といえどもある時は主翼となり、またある時は尾翼となって会社経営に貢献すべきであると考える。 そして大切なことは、その行動が会社の潜在能力となって根付くことである。 それはあたかも、航空機が潜在能力として安定性の復元能力を有しているがごとくに...。 社長の右腕とは、時には主翼となり、時には尾翼となって飛行(経営)を支えることに尽きる。

Lion’s Share(ライオンズ シェア)

先日電車で移動中、確かJRであったと思うが、車内ドア上部のモニター(テレビ)画面に見入った時のことである。 内容はというと、Berlitz(英会話学校)提供の英語表現の一コマであり、“Lion’s Share”(ライオンズ シェア)の意味と用例が説明されていた。 意味は元来「ライオンの分け前・取り分=ライオンが食する獲物の肉質・肉量(筆者の解釈)」のことであるが、英語の用例は「プロジェクトの貢献度が高いメンバーが、より多くの収入(分け前・取分)を得ること」というものであった。

さて、自然界、殊にアフリカのサバンナでは自然の摂理により、以下の食物連鎖が敢然・冷徹に行なわれている。 まず肉食獣であって食物連鎖の頂点に立つライオンが、草食動物のヌーを倒し勇壮にムシャブリつく。 一番おいしいところは内臓(小腸)であるというが、本当のところはライオンに尋ねてみないと正直分からない。 ライオンの後は、中・小型の肉食動物であるハイエナやリカオンなどの登場である。 残りの塊をガツガツ食い散らす。(ハイエナの名誉のために付言すると、いつもライオンのおこぼれを掠(かすめ)るのではなくて、逆にハイエナが苦労して獲った草食動物を、ライオンが横取りすることだって多々あるらしい) 中・小型の肉食動物の中には、残りの肉が少ないせいか骨にまでかじりつき、スッカリ消化してしまう輩もいるという。 その間、上空からは猛禽類であるタカやワシの類がジッと順番を待っている。 やがて此処ぞとばかり突進し、骨に残った肉片をあらかた片付けてしまう。 すると、小さな虫たちが何処からともなく続々と群がって、小さな残片を覆い尽す。 目に見える範囲では、すっかり片づいたようだ。 そして、暫しの時が経ち最後は微生物の出番である。 小さな虫たちが食い残した腐食物(皮や毛、骨までも)を分解する。 彼らによって、ヌーは土に還りサバンナに生える草々の養分となる。 この草々を再びヌーが食べることになり、ここで連鎖は一巡する。

閑話休題。
本題に戻ろう。 “Lion’s Share”(ライオンズ シェア)とは、人間社会(実業の世界)では「プロジェクトの貢献度が高いメンバーが、より多くの収入(分け前・取分)を得ること」であることは既に述べた。 筆者はこれに出会い大いに瞠目し、真に当を得た(リーズナブルな)見解であると思っている。

では誰が、より貢献度の高いメンバーを評価し決定するのか? その前に、一つの前提を明らかにしておこう。 プロジェクとは、社内発注・受注プロジェクトと位置付けなければなるまい。 即ち、顧客より受注した営業部門が、改めて技術分門に対し当該プロジェクトを発注するのである。 従って、技術部門は原価が受注金額であり、営業部門は原価に一般管理費や営業管理費等々を上乗せし、 顧客からの受注金額とする。

さて、『メンバーの貢献度評価』に関する筆者の提案である。 それは、個々のプロジェクトメンバーによる他薦・自薦(投票)によって決められるべきだと思う。 貢献度は定量的でも、定性的であっても構わない。 各々が実直に評価するところに意義がある。 無論、プロジェクトマネージャーやサブリーダーとて、プロジェクトメンバーの一員である。

その結果、“Lion’s Share”(ライオンズ シェア)が確定する。 ここで大切なことは、シェア(分け前・取分)を多くするために個々が分捕り合戦を行うだけではなくて、プロジェクトメンバーが一丸となって、原価を下げることである。 余剰金(見積り原価−実際の原価)は、当然、シェア(分け前・取分)の原資(対象)となることは明白だからある。

以上が実現できれば、平均的サラリー(給与)と不確実なボーナス(賞与)の報酬体系から、全面的なインセンティブ(褒賞金)方式の報酬体系が実現できるのではと期待している。

プロフェッショナルへの道程

小職は、技術者(当業界ではSEとかプログラマーと云われている)の成長に非常な興味を持っており、並々ならぬ使命感で日々彼らに接している。 もっともそのように接する小職のことを、当の技術者が本当に有り難がっているか否かは甚だ心許ない。 あるいは不要な(いらぬ)お節介だと思われているのかもしれない。 それは、小職が仕向ける成長過程(キャリア・パス)が、彼らにとってはきっと悠長すぎるのだろう。 だが小職に言わせれば、“本物の技術者”になるためには適正な一定の時間(ステップ バイ ステップ:一歩一歩)が必要であると。 だから、彼らのことを「何故そう急ぐ」と思うのである。

そんな中、NHK総合テレビで『プロフェッショナル 仕事の流儀』の『第20回 〜直感は経験で磨く〜 棋士・羽生 善治』(http://www.nhk.or.jp/professional/)を観たことがあった。 彼は25歳の若さで前人未到の全タイトル制覇(7冠達成)という頂点を極めてしまった。 その時「この先どうなるのか」という漠然とした不安に駆られ始めたという。 その後“羽生マジック”と呼ばれた“直感”の冴えは迷いとともに鈍り始め、戦績は次第に下がって2年前の33歳ではタイトル1冠まで落ち込んでしまう。 そんな時、見慣れたはずのベテラン棋士達が必死に将棋に打込む姿を見て、「才能とは、一瞬のひらめきやきらめきではなく、情熱や努力を継続する力だ」(同番組サイトから引用)と気付くのである。 事実、同番組中で「何でもいいんですが、例えば1日2時間、それを20年間続けて行くことはかなりの困難を伴います。普通は出来ないと思うのですよ」と語っている。 ここに至って、彼は同番組サブタイトル『直感は経験で磨く』に行き着くのである。

さて、技術者の成長過程(キャリア・パス)の話しに戻ろう。 技術者のキャリア(職務経験)をそのレジュメ(経歴書)でみると、当業界での就業年数(経験年数)が不充分(些少)にもかかわらず、あたかもあらゆる業務に対処可能な如き過大な自己アピールが散見される。 その心意気や善しとしよう。 だが、どうしてもっとゆっくり(ステップ バイ ステップ:一歩一歩)と、あらゆること(失敗も成功も)を経験し、着実に実力や才能を伸ばそうとしないのか。 そして堂々と実績に合った評価を得ようとしないのか。 結果は正直で後から付いて来るものなのだ。

かの天才棋士でさえ、早くして頂点を極めた末、その付が回って来たのである。増してや凡人(大多数の技術者)が、20歳代か30歳そこそこの経験で一人前(どころか頂点を極めた)と思い込で、一体その後どのような人生を送ろうというのだろうか? そこで思うのである、「何故そう急ぐ」と。

最後に、羽生 善治氏の“プロフェッショナルとは”を同番組サイトから引用し、読者諸兄に供して本稿を終わりとしたい。 「…やっぱりなんかこう揺らぎない人、揺らぎない人だと思っています。変わらないというか、核があるというか、信念があるというか、誇りがあるというか、つまり本当に仕事を大事にして守り続けている、信じ続けているということではないのかなあと思います」

ハインリッヒの法則につけて思うこと


先日、法要のため帰省した。法要も滞りなく終了し、帰京のため田舎の空港に着いたのは、出発の1時半間前であった。そのため、出発ロビーで1時間余りを過ごす破目となった。 出発ロビーの窓越しに、乗って帰る機材(エアバスA321)が数十メートル先に見えた。たった今、羽田から飛んで来て、我々乗客を乗せてとんぼ返りするジェット機である。

何をするでもなく、エアバスA321を眺めていた。出発までの作業は、どうせ機内の清掃と給油、それに荷積みぐらいだろうと高を括っていた。 すると、徐に整備・点検の作業が始まったのである。整備員は総勢5,6人はいただろうか。 「何だろなー、整備・点検なんかいいから、早く出発しろってんだよなー」などと一人呟きながら、暫しその作業に見入っていた。

やがて、整備点検も終了したころに、整備主任?(正式には何と呼ぶのか分からない)と思しき人間が、A321の前後・左右から、はたまた主翼や水平尾翼の下にもぐり込み、時には指差しながら目視点検を始めたのである。 「ホホー、やるもんじゃあるわい」などと思いながら、「早く終われ・・・」と祈りつつ、その目視点検の終了を待っていた。 暫くの後、目視点検は終了した。「さあ、いよいよ出発だ!」と気合を入れて、出発案内のアナウンスを待つことにした。

ところがどうだ。操縦士(キャプテン)か副操縦士(コパイロット)か判別不能だが、A321から操縦席横のタラップをノコノコ降りて来たではないか。
「オイ、オイ、オイ、冗談じゃありゃせん。出発じゃちゅうのに操縦士が降りてしもうたら、一体どうなるんじゃ!」と舌打ちし、その後を見守った。
何と操縦士(あるいは副操縦士)は、整備主任と同じように(見える)、目視点検を始めたのである。
思わず、「ハインリッヒだ!」と、ついつい声を発してしまった。

このハインリッヒの法則を教訓として、その趣旨を最も厳格に適用しているのが航空業界であるとは聞いていた。奇しくも今、その一端を目の当たりにしたのである。 もっとも、運行規定としてマニュアルに示されたアクションを、ただ機械的に行っているに過ぎないのかもしれない。だが、そこには安全のための二重、三重の安全点検が確かにあった。

さて、ここでハインリッヒの法則を、簡単におさらいしておこう。
ハインリッヒの法則−即ち【1:29:300の法則】は、『1件の重大事故の背景には、29件の軽症(傷)事故が発生し、更に300件の「ヒヤリ」、「ハット」するような出来事が発生している事実を、経験則に基づく発生確率で表したもの』である。 手っ取り早く言えば、この法則は、『小さな失敗は、重大事故の予兆であること』を警鐘しているのである。

いよいよ本題。
ハインリッヒの法則を、我々の開発プロジェクトに適用したらどうなるだろうか?
数字の妥当性を除外するならば、『1件の世間を揺るがす重大なシステム障害の背景には、29件のシステム障害が起き、更に300件のエラーやバグが発生している』とでもなろうか。 逆に言うと、300件のエラーやバグが発生していれば、29件のシステム障害が起きてもおかしくない。 更には、世間を揺るがす重大なシステム障害が潜在している可能性だってあると見なければならない。
正しく、『小さな失敗(=エラーやバグ)は、重大事故(=世間を揺るがす重大なシステム障害)の予兆であること』を警鐘として受け止める必要があるのではないか。 何度も言うが、数字の妥当性は無視する。しかし、その考え方や方向性(スタンス)が大切である。

余りにもバグの多いプログラムは、集中的に徹底的したバグつぶしが必要かもしれない。 仕様ミスによるエラーの多発には、思い切った仕様全体の再確認が必要かもしれない。 (プロトタイプで確認し、スパイラル状に完成させていくような、現代の開発プロセスでも原則は同様)

時にはハインリッヒの法則を思い浮かべ、警鐘を鳴らしつつ事に当たって行う。 そう思いながら、A321に乗り込んだのであった。

技術の伝承も自然の摂理に適うのか?


「あっちの世界とこっちの世界。
自分の大切な人が、一人、二人と、
こっちの世界からあっちの世界に移って行く。
これを人は“臨終”と呼んでいる。
近ごろ、こちらの形勢は甚だ不利だ。
あの人も、かの人も、段々あっちの世界へ旅立っていく。
寂しい、実に寂しい。
若い頃の寂しさと、まったく違うこの寂しさは、一体何だろう」

− などと、主題とは掛け離れた、実に感傷的な文章を載せてしまいました。
− 段々と、主題の話になって行くはずなので、しばらくは抹香臭いお話にお付き合いを願っておきます。

この1月、次兄の丈母(次兄の妻の母)が亡くなりました。 そして、4月、我が丈母(妻の母)が他界しました。 次兄の丈母は、田舎から上京した小生を、実の母のように慈しんでくれました。 我が丈母は、結婚以来、実の息子のように遇してくれました。 両方の丈母とも、私にとっては決して忘れることのできない大切な人です。 ところで我が父母はというと、この5月に13回忌の法要を向えました。

その法要、兄弟6人の家族一統(総勢30人強)が集まったのですが、父母にとっての孫はもちろん曾孫もちらほら見かけます。父母にとっての孫(少々ややこしいのですが、私にとっての甥、姪)もすっかりオジサンやオバサンです。

− このあたりから、ようやく自然の摂理(DNA)の話になってきますので、ご安心下さい。

まず甥の中に、私に外見も性格も(良きつけ悪きにつけ)きわめて似ている者が少なくとも3人はいました。 もっとも彼らの妻たちは、叔父さんである私に自分の夫の将来像を見てしまい、何ともいえない気分になったようですが・・・。
それはさておき、さらに下って姪の息子たちの中に、これまた私の小さい時にそっくりなのが1人いたんです。
姪の息子ですから、私からみれば孫の位になります。 またまた、ややこしい話ですが、姪の母(つまり私の姉)は、この姪の息子にとってはお婆ちゃん(祖母)になります。 そのお婆ちゃん(私の姉=姪の母)がいうのです。自分の孫(姪の息子)が、私の小さい時にそっくりだと。 もちろん、外見だけでなく性格もそっくりだそうで、特に兄弟喧嘩をして泣きわめく時など、私の生まれ変わりではないかとふっと思うことがあるそうです。

以上が、私のいうところの自然の摂理、DNA伝承の真実です。
私にそっくりな甥3人と姪の息子1人(計4人は)、多分、私のDNAと多くの点で共通しているはずです。

− 医学的に確かめた訳ではありませんので、まあ、お話として聞いて頂ければと思います。

このように自然は、本人達が好むと好まざるにかかわらず、DNAとしてその資質を子孫に伝えていきます。さて、我々の技術の伝承は一体どうなっているのでしょうか。 理論や方法論などの学術論は、確かにしっかりと伝承されているように思いますし、今後も憂いがないでしょう。

問題は、多くの技術者が実際に現場で行う技術です。
どうも、自然に任せればDNAと同じになってしまうようです。
つまり、良きつけ悪きにつけ、自然に伝わってしまうというところです。
いや、むしろ悪いところだけが伝わってしまうのかもしれません。

それは、次の理由からです。
 ◇安直で楽なやり方は、黙っていても皆がまねる。
 ◇自然、そのやり方は多数を占め、何となく伝わっていく。
 ◇伝わっていく過程で、だんだん悪くなっていく。

従って、技術の伝承は断じて自然の摂理に適ってはなりません!
むしろ意図的に、伝承されるべき技術を選択し、伝えていかなければならないと思います。 この伝承されるべき技術とは、それ自体の改善・改良版、それをベースとした新たな技術をも含みます。

これが、今の私の結論です。

プレッシャーに打克つには?


ごたいそうな標題を掲げてしまって少し後悔している。そんな妙薬があれば当方こそがその効能にあやかりたいくらいだ。実際この原稿を書けといわれてから相当なプレッシャーを感じている。

あの“浪速乃闘拳”亀田 興毅(WBA世界ライトフライ級チャンピオン)でさえ、タイトルマッチ戦後のインタビューで語っている。世界初挑戦のプレッシャーから 『足が地に着いてへんような気持ちやったな』 と。もっともこれは1ラウンドにダウンを喰ったことへの言い訳かもしれないが・・・・・。 また噺家(はなしか;落語家)の楽之介師匠によればあの業界にはお呪(まじない)があって、手の平に指で「人」という字を書きそれを呑込む仕草をすると「人を呑む・人を呑んでかかる」ことからプレッシャーがかからなくなるそうだ。

ところで、そもそもプレッシャーとは何であろうか。 亀田選手の例でいえば試合に勝利しチャンピオンベルトを取ることであり、更にノックアウトで試合を決めなければファンが納得しないというプレッシャーがある。 噺家の例でいえば、しかも大看板(由緒在る芸名を何代目として受継いだ噺家)ともなれば、独演会で代々大看板が得意とする噺をその名に恥じないよう一席演じなければならない。他流派の重鎮、著名な席亭、評論家、通人の客などの注目が一心に集まる中で、拙(へた)な噺はやれないというプレッシャーがそこにはある。 我々のよくあるプレッシャーは工程通りにプログラムを作り上げること、しかも後々バグが発生してはならないことである。まわりから「奴の仕事はとろい。しかもバグだらけだ」などといわれないよう必死に作業に取組んでいる。

どの場合でも、必要以上に他人の目を気にし、実力以上の期待に応えようとするところにプレッシャーが生じている。 これを取り除くことは甚だ難しいが、緩和することはできると思っている。 結論をいってしまえば簡単である。 それは、早いうちに「ヤケクソ、居直り、一か八か」の心境に至ってしまうことである。 まさか命まで取られることはないだろうと達観することである。 自尊心など一時傍らに片付けておくのである。 事実、自分が気にするほどには他人は自分のことを気にしていない。他人はそれほど暇ではない。「人の噂も75日」というではないか。

といってしまえば、少々粗っぽいと批判を受けるかもしれない。何のバックボーンも無いただの経験に基づくものだと誹(そしり)を受けるかもしれない。 そこで、ちょっと偉そうにバックボーンを紹介してみよう。 江戸時代中期(1716年ごろ)に出された山本常朝(肥前国鍋島藩藩士)の『葉隠(はがくれ)』には、「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」とある。 当時は武士道として邪道とされた時期もあったようだが、武士としての心得として「常に死を意識して自省する態度」とされている。 といって何もそう大仰(おおぎょう)に考えることはない。 結局は常日頃から最悪の情況を想定し、それ以上であれば良しとする大様(おおよう)な気持ちでいることが大切であると思っている。

アインシュタインとカーナビ


アインシュタインといえば相対性理論であるが、対象となる物体の速さが光の速さに近づかないと物理現象が明瞭に現れてこない。そのため時間とか空間に対する概念を根本から変えてしまう程の革命的な理論であるにもかかわらず、長い間実生活に役立たない机上の空論に過ぎないと思われて来た。 なぜなら、あのジャンボジェット機ですら時速900km程度、秒速にして250mに過ぎないからである。これは光の速さの100万分の1以下である。

それではこの理論が実生活に応用されている例を挙げてみよう。大抵の人は真っ先にあの忌まわしい核兵器(原子爆弾)を思い浮かべるであろう。次には原子力発電や原子力潜水艦・空母といったところであろうか。実生活からは大分遠ざかるがブラックホールやビッグバーンなどの宇宙論を挙げる人は、なかなかのマニア・通人といえよう。だが実は、あのカーナビが相対性理論の応用であり、相対性理論の正しさを実証する最も身近な現象であることは余り知られていないのではないだろうか。

アインシュタインと小生の係わり合いといえば、高校時代の英語の時間まで遡ることになる。相対性理論の話題がリーダーの教科書に載っていたのである。その当時の記憶では「原子爆弾の原理を考え、光が曲がると唱えた偉い物理学者」という程度の印象しかない。その次の出会いは大学になってからである。理学部の数学科に属していた関係上、物理の関連科目の一部として特殊相対性理論を履修したが、残念ながら方程式を弄り回すだけの内容であった。一般相対性理論については数学のリーマン空間(非ユークリッド幾何学)の講義で、それに「触れた」程度に過ぎない。

最近、このような中途半端な学業・知識を悔やんで、相対性理論をもう一度おさらいをして見ようと思い立ったのである。もちろん、より深い専門性を極めようというのではない。もとよりそれは無理な話である。そこで数学的な抽象的概念より、むしろその物理学的な背景や実体を把もうと努めた。そのために10冊を越える難易取り混ぜた解説書を貪うことになった。中には飛躍して宇宙論に関する解説書も混じっている。そこで出会った2冊の書籍「蘇る天才の予言 七転八倒アインシュタイン(大和書房)」及び「図解雑学 よくわかる相対性理論(ナツメ社)」に、冒頭の「カーナビは相対性理論の応用」なる記述があったのだ。

カーナビの原理を簡単に説明しよう。カーナビには、現在位置を正確に把握するためGPS(Global Positioning System:全地球測位システム)が利用されている。これは高度約2万kmを12時間周期で回周する24個の人工衛星からなるシステムで、地球上のいかなる場所においても常に4個の人工衛星からの電波受信が可能なようになっている。正確な位置が把握された人工衛星には精度の高い原子時計が、車の受信機には普通の精度の水晶時計が、それぞれ組込まれている。人工衛星からの電波発信時刻と車の電波受信時刻の差に光の速さを掛ければ両者の距離が分る。3個の人工衛星を使用すれば車(受信機)の位置(緯度、経度、高度)が分る。通常4個の人工衛星を使うのは、車の受信機に組込まれている水晶時計(普通の精度)の誤差を補正するためである。

さて、何処が「相対性理論の応用」というのであろうか、以下に列挙してみよう。

(1) カーナビは≪相対性理論≫の基本原理である『光速度一定』、すなわち光源の運動や方向によらず光速は一定であることを大前提としている。(地球自体が宇宙全体を満たすマイクロ波背景放射に対して350km/秒の速さで運動しているため)

(2) 地球(地上)に対し、人工衛星は運動しているので時間の進みが遅れる。≪特殊相対性理論≫

(3) 地球(地上)に対し、人工衛星の軌道は高度約2万kmなので重力が弱まり、時間の進みが早くなる。≪一般相対性理論≫

(2)、(3)の効果を合算すると、人工衛星の時計は車の受信機の時計よりも毎秒100億分の4.45秒だけ早く進む。従って、人工衛星からはそれだけ遅らせて信号を送ることにより時刻を補正している。因みに人工衛星の時計は1日に38.5マイクロ秒(10万分の3.85秒)、時間の進みが早まることになり、1日放っておくとカーナビには約11kmもの誤差が生じることを意味している。

以上が、アインシュタインとカーナビの関係であり、『カーナビが相対性理論の申し子』といわれる由縁である。このように一見応用不可能と思われる理論も、いつ何時実生活に応用されるか測り知れないところがある。忘れてならないことは、我々のIT(情報技術)が如何なる応用分野においても絶対といっていい程の位置を占めているという事実である。これは何と素晴らしいことであろうか。時には日々の泥臭い実務を忘れ、夜空の星でも眺めながら一般相対性理論よる宇宙論に耽ってみる、何と幸福なことであろうか。

社是 − 着実な成長と揺るぎない継続性 −


ラワンは熱帯雨林地方に群生し、その軟材は建具などに多用されています。四季のない気候のせいか数年で巨木に成長し、やがて自重に耐切れず倒れてしまうそうです。 一方、木曽のひのきや秋田杉は、巨木に成長するのに数十年以上を要します。四季に育まれた年輪が、頑強で倒れない特性を生みました。

前者は安易なM&Aや業務提携に奔走する、IT関連企業を象徴しているように思えます。将来、ITバブルの再崩壊はないと誰が断言できるでしょうか。 後者の典型は友禅染(京都)の老舗だと思います。何代にも渡る御得意様は経済状況の変化には影響されません。地味ですが着実な成長と揺るぎない継続性がそこにはあります。

当社のビジネスモデルは、当然ながら後者の友禅染(京都)の老舗を想定しています。 ご賛同頂けるエンジニアがあれば、是非ご一緒下さい。

常在戦場


仰(のっ)けから過激な主題を掲げてしまったことを少し悔やんでいる。
実はSE(システムエンジニア)のビジネスマインドとは何かを突き詰めた結果『常在戦場』に行き着いたまでのことである。
憲法改正、陸海空の各軍・海兵隊の創設、国民皆兵(徴兵制)等々を謳うつもりは更々無いことを予め断って措かねばならない。
『常在戦場』を読み下せば『戦場(軍場)に在るを常とす』とでもなろうか。常に戦場(軍場)に在るつもりで気を引締めて事に当れという一般的な心構えがこの4文字に込められている。

筆者は何度かビジネスに関する情報戦略セミナーを聴講したことがある。
必ず登場するのが戦術(Tactics)と戦略(Strategy)の相違と重要性であり、それを裏付ける根拠として『孫氏の兵法』と『戦争論(クラウゼビッツ)』がしばしば引用される。ビジネスの戦いも本物の戦争も原理的には変わらないという考えに基づいているのだろう。
ともかく一度その『孫子の兵法』と『戦争論(クラウゼビッツ)』を読んでみたいと思っていた。 だが筆者には原書を読む素地や力量は元より、訳本といえどもその膨大な文章を読む時間が無い。 そこで安直な方法を考え出した。
それは解説本(それも安物の文庫本か古色蒼然として黴臭い古本)を探し出して読んで見ようという魂胆であったが、幸運にもそれぞれ複数の書籍に出会うことができた。

初めは主題を戦術(Tactics)と戦略(Strategy)に的を絞り集中して読み始めたのであるが、途中で興味・視点が少しづつではあるがズレて来た。
『孫子の兵法』と『戦争論(クラウゼビッツ)』各々の解説書の主題(戦略と戦術の観点から奇襲戦の是非と功罪を論述)には、その実例として必ずといって良い程にあの織田信長の『桶狭(おけはざま)間の戦い』が登場する。
そして筆者はそこで『常在戦場』に出会うことになったのである。

解説書の主張は、主題がそれぞれ異なるため論点に多少の差異があるにせよ、結論は次の点で一致する。 『桶狭間の戦い』に於いて武功雄々しく今川義元を討ち取った【毛利新助(もうりしんすけ)】より、義元が桶狭間で休息するという情報をもたらした【梁田政綱(やなだまさつな)】の方が信長から受けた恩賞が多く、3千貫という当時としては破格の恩賞であったそうだ。
『常在戦場』の認識に於いて前者は戦闘そのものが戦場であるとし、後者は戦闘以外も戦場であるとしたことによって自ずと行動に差異が生じたのである。

両武将をSEに置き換えてみるならば、前者は本来の技術的な仕事で成果を上げたSEであり、後者は情報をキャッチすることにより多大なビジネスチャンスを会社にもたらしたSEということになる。 会社から与えられた仕事を坦々とこなすだけのSEか、常にアンテナを立ててビジネスチャンスをキャッチできる状況にあるSEかの差である。 企業があくまで利益を追求することを一義とするならば、やはり後者の貢献度の方が大きいと言わざるを得まい。
ビジネスマインドに於いて後者が前者を凌駕した結果、両者のインセンティブに差が付くという実例である。
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