トピックス
(2005/01〜2005/12)
トピックス(2005/01〜2005/12)
過去の記事(2005/01〜2005/12)になります


武勇伝、武勇伝、デンデンデン武勇伝・・・・


主題はご存知の方も多いと思うが、テレビやコマーシャルで活躍中の若手芸人が多用するキャッチフレーズ(惹句)である。二人組の一方(俗にボケ?)が、普通ではつまり常識では考えられない行動(何かとぼけて面白い)を取ったこと、また結果が必ずしも成功したとはいえないことをさも誇らしげに報告するのである。それに対し相方(俗にツッコミ?)が「XXXちゃんスゴイ(エライ)!」と相槌を打って褒めるのである。これが彼等の武勇伝であり、このパターンがラップ調の軽やかなるテンポに乗せて繰り返されるという趣向、これが今大いに受けている。

これから述べる武勇伝も決して世間に胸を張ってお伝えできるものではないだろう。その意味で彼らの武勇伝とドッコイドッコイかもしれない。が、決して軽い乗りの武勇伝ではない。かといって某国営放送?の【プロジェクトX】のような懐古趣味でもない。

時はバブル絶頂期のとあるソフトウェアハウス(現代ではシステムインティグレータとでも呼ぼうか)での出来事である。日頃は鬼のようなプロジェクトマネージャが電話を切ると突然叫んだ。「今日はこれで切上げ、全員飲みに行くぞ、早く仕度しろ」 これを聞いたプロジェクトメンバーは何故だと思い、また唖然とした気持ちになった。何故なら時間は金曜日の午後4時である。しかもプロジェクトは度重なる仕様変更(というより機能追加の多発)の結果、工程は遅れに遅れ土日出勤は当たり前、毎日早朝から最終電車まで中には泊り込みで開発を進めている現状である。メンバーの殆どは酒が大好きで名うての【飲んべえ集団】として評判の連中である。その彼らが飲みたいのを我慢に我慢を重ね耐えている現状なのだ。一旦飲めば明日以降がもっと辛くなることを彼らはよく知っている。そこで何故だと思たり唖然としたのである。
更にマネージャーは「後のことは俺に任せろ、これから命の洗濯だ! 早く早く」と急き立てる。後で分ったことだが、営業の度重なる交渉の不手際に業を煮やしたマネージャーが、自らの交渉によって納期の延長と追加の開発費を決めた瞬間であったのだ。マネージャーはメンバーに精神的な休養(彼らにとって、それが飲むことで一致している)を与え、リフレッシュの後、来週月曜日から新たに工程スケジュールを組直そうと決意していたのだった。

前置きが長くなった。いよいよ武勇伝に移ろう。だが酒席の描写はひかえることにする。何故なら読者諸兄は容易にその光景を思い浮かべることができるからである。然り、大いに荒れた。荒れに荒れまくった。幸いにして怪我人や警察のご厄介になることだけは避け得たと報告しておこう。
やはり飲んだ後は所定のコースである。某国から国名を汚すと抗議を受け、健康的な夢ある名称に変更されたあの大人(男)の殿堂に行き着いたのである。最後の【お好きな面々】はそれでも10人は降らない。もちろん我がマネージャーもその中に含まれている。こうなれば、もうだれも自分の懐具合など気にしない、そういう面々である。それを察してか我がマネージャーは、先方のマネージャーにマネーの交渉を始めた。(えーい、ややこしい)

ここからが武勇伝のカーネル(核)となる件(くだり)である。それは料金の団体割引などという生易しい交渉ごとだけでは終わらない。極め付きは【割引後の一括料金(全員の分)を家まで取りに付いて来い】と交渉したのである。付いて行く行為は郭(くるわ)華やかりしころ【付け馬】といわれた料金精算のシステムである。なんと我がマネージャーは、数戦に及ぶ心地良い一時を過ごした後、一見その筋の御方に白塗りのベンツを運転させ、助手席に乗って悠々と帰宅したそうである。つまりタクシー代をも経費削減したのである。因みに件(くだん)のメンバーには、後日きっちりと我がマネージャーから請求があったそうである。そして「交渉力があれ程ものなら、プロジェクトの交渉ごとなんざ朝飯前だよな」と彼らは妙に納得し、マネージャーに対し畏怖と尊敬の念を新たにしたのであったという。

さて、この武勇伝から幾つかの教訓を読み取ることができる。解釈は賢明なる読者諸兄に委ねることにするが、手掛かりとして、以下、3つの観点を列挙し筆を置くことにする。

(1)マネージャーの資質
(2)プロジェクトメンバー(リーダーも含む)の資質
(3)プロジェクト推進の原動力

あの間が好きである


  近頃仕事で車に乗ることが多くなった。時間に余裕がある時は極力車で移動するようにしている。乗る回数が増えれば事故に遭う確率も高くなって来るのは道理だ。従って在来たりだが安全運転を常に心掛けている。もっともこの心掛けを余儀なくされているのは、運転技術の未熟さから来ているかもしれない。少なくともそう自覚している。また運転技術の未熟さは、実は元々鈍いのかもしれないが、経験不足から来ていると信じたい。

  この未熟さが交通のスムーズさを欠き、もらい事故につながることも間々あるという。目下の課題は複数車線(レーン)の道路を走行する場合、流れに沿って車線変更をスムーズに行うことにある。実際のところ、安全のためというよりは衝突を恐れてスピードを落としてしまいがちになる。これが車の流れを乱す元となり、かえって追突などのもらい事故につながってしまわないかと後で悔やんだりしている。

  さて法規上は、進路変更をする3秒前に方向指示器等で合図をすることになっている。合図の後のアクションを、教習所では次のように教わった。
 右側変更:
  バックミラー(ルームミラー) => サイドミラー => 直ぐ右横を目視
 左側変更:
  バックミラー(ルームミラー) => サイドミラー => 直ぐ左横を目視
リズムは4拍子で1、2、3。 これで3秒経つのだと分った。だがここで相手車両が障害物として目に入るのである。途端にスピードを緩めてしまう。挙句の果ては後続車のドライバーから「パッパー」とクラクションを鳴らされ、『早く行けこの薄らバカ。何をもたもたしているんだ!』と無言のプレッシャーを受けたりしている。それでも時々は、チラッと見て安全確認、スムーズに車線変更と(かっこいい!まるでF16のパイロットのようだ!?)上手く運ぶこともある。これが普通であろうが、まだまだ回数は少ない。相手ドライバーとのアイ・コンタクか、以心伝心か、暗黙時にこちらの行動と相手の行動が理解し合えた結果である。

  標題で『あの間が好きである』と掲げたのは、実にこの瞬間を指しているのだ。本題に移ろう。我々は本業のプロジェクトを推進していく上で、このような注意を払っているのだろうか。今改めてチーム内のコミュニケーションを考え直しているとろではある。

そんなに自信がないの?


断定的な物言い(ものいい)が出来ないのは自信の無さの勢なのか?

一夕、近所で親しくしているご家の小6の少年に出会った。その日は父親が早く帰宅したらしく、一緒に多摩川の土手をサイクリングするつもりのようだった。
私は少年に「お父さんはいつもこんなに早くお帰りになるの?」と尋ねた。
彼の答えは「びみょう(微妙)...」であった。
彼らにとっては、曖昧模糊とした情況を説明するのに実に便利な言葉らしい。
しかし、何故もっと情況に合ったが説明できないのか、などと他所(よそ)様の愛息を詰(なじる)つもりはないが正直そう感じた。

最近の会話の傾向として語尾を上げ同意を求める物言いが流行っている。
私は何が嫌かといって、是程不快なものはない。
自分の考えを相手に伝えたいならば、何故もっと断定的な物言いが出来ないのか?
「御主は、そんなに自信がないのか?」と、頬桁(ほおげた)の一つもひっぱたいてやりたい気持ちだ。

自信の無さは何処から来ているのか?
それは、『らしさ』の欠如に起因してはいないだろうか。

その最たるものが、ジェンダーフリーなる悪しき教育指針の結果がもたらした男女の『らしさ』を無くなってしまったことにあると思う。
過(か)っては、明らかに『男ことば』と『女ことば』が存在した。
今となっては今昔の物語ではあるが・・・・。

更に論理?を飛躍させよう。
少子化問題の原点は、この男女の『らしさ』の欠如に端を発していると思う。
女性の立場に立つならば、『何を好き好んで柔な男と結婚する必要があるの?』と思うのは正しく宜・諾(むべ・うべ)なるかなである。

男子たる者、堂々と己の主張を述べよ。
決して『語尾を上げ同意を求める物言い』などするな!と言いたい。

根本の解決は、改革促進内閣の一員である文部科学大臣/国民スポーツ担当【小坂 憲次】氏にでも頼んでみるしかないか。

真に頼りとされるエンジニアとは


主題の中の『エンジニア』とは、無論ソフトウェア開発に係わるエンジニア一般のことを表わしている。
だが、特にSE(システムエンジニア)を意味しているのではないことをあらかじめ断っておく。
もっとも昨今は、開発プロセスがいわゆる『ウォーターフォール型』でなくなったせいもあり、従来の職制?において、少なくともSE、PG(プログラマ)の区別は曖昧となって来ている。

さて、自分は成功と不成功を問わず、様々なシステム開発のプロジェクトに携わって来た。成功と言ってしまったが、客観的にはそのほとんどが不成功と言えるかもしれない。
「理想が高すぎるのだよ。無事に動けば先ずは合格さ」などと慰められるかもしれない。でも自分自身を許せない何かがある。それには理由があるはずだ。そんな想いでこの文章を書いている。

自分の手掛けるシステム開発は、Javaや.NETのWebシステムといっても企業の基幹系あるいは情報系の業務システムである。
そこにはMF(メインフレーム) ⇒ オープン系(CSS:クライアントサーバシステム) ⇒ Web(インターネット)系へと変遷を遂げたシステム財産の譜系が厳然として存在する。

例を示そう。
企業体がある限り、マネーフローやワークフローなど基本的なビジネスロジックは、法改正等の対応・変更はあっても根本はそう変らない。
これの意味するところは、ソフトウェアのテクノロジーが新しくなってもレガシーシステムの遺産を継承(オブジェクト指向の継承とは話が違う!)しなければならないということにある。
ORACLEで構築されたDB(データベース)一つ取ってみても、『何だよこれは、論理設計などできていないじゃないか・・・!』と思うことが多い。
だがそれはオープン系システムの開発時、MF(メインフレーム)のDB(データベース)からの遺産継承でそうならざるを得なかったのでないか、と理解を示したりしている自分がそこにいる。
そして今、自分はその既存ORACLE DB(データベース)を使うというクリティカルな(ぎりぎりの)制限の下で、新たなテクノロジー(Javaや.NETのオブジェクト指向等)を駆使し、レガシーシステムをWebシステムとして再生・再構築しなければならない立場にある。
これが現実である。

ここが、特にポータル、ショッピングモールといったBtoC(B2C)のEC(Electronic Commerce:エレクトロニック コマース/電子商取引)サイト構築と大いに異なる点である。
これらのシステム構築は真更から事が始められる。
自分に言わせれば、何の制限もない所からスタート出来る分、誰でも出来る代物(しろもの)であるということになる。

この世界は、どんなに秀逸なERPパッケージがあり、それに付随してどんなに卓越したコンサルタントやシステムアナリストがいても、またどんなに優秀なプロジェクトマネージャやリーダーがいても、結局はシステムをインプリメント(実装)するエンジニアが最後には≪ものいう≫世界であると思っている。
そして、自分はあくまでもインプリメンター(実装エンジニア)であり続けたい。

そんな訳で、何だかんだと言ってはみたが自分は正直なところ現状の仕事が好きである。
それは、制限の中でこそ真のテクノロジーチェンジ(技術変革)やイノベーション(技術革新)が達成できるのではないかと確信しているからだ。
現状の仕事は泥臭く決して麗事では済まされない。増してや100点満点なぞは望むべくもない。
でも、常にパーフェクトを目指そうと思っている。
なぜなら自分は、≪真に頼りとされるエンジニア≫たりえたいと願い、日々の仕事に取組んでいるからだ。

【参考】  「インプリメンテーション:implementation」は「実装」の意味。コンピュータ関連では、何らかの処理ロジックや機能をプログラムコード(もしくはハードウェア)として実現することを指す。「実装する」という意味で、「インプリメントする」などと用いられることもある。 ......アスキー( ASCU24 デジタル用語辞典)より

プロアクティブとリアクティブ


人間は社会的生活に於いてプロアクティブに行動したり、リアアクティブに行動したりしていると言われている。
プロアクティブ(proactive)とは、『前もって、先に、予め』等々の意味がある。リアクティブ(reactive)には、『反作用的に、反射的に、対応型の』等々の意味がある。

例を示そう。(あまり良い例ではないかもしれないが)
雨が降りそうな或る日の朝、傘を持って行くべきかどうか迷う事がある。新聞の気象欄を眺め、テレビの天気予報を見、更にインターネットでローカル天気予報をチェックし、まだ足らず空を眺めては風を読み、『よし、傘を持って行こう。夕方には必ず雨が降る』と確信して出かけて行くタイプ、これ程こまめでないにせよ、大体プロアクティブである。
一方、朝起きて天気予報などまったく無頓着。聞き流しに点けたテレビの天気予報が、夕方の雨模様を告知していても動じない。『今降っていないじゃん』などと言いつつ出かけるタイプ。これはリアクティブである。夕方実際に雨に会えば、その時対処しようとするタイプである。ビニール傘が何本も溜まるのがこのタイプである。(時には、想いを寄せる女性から借り受けた芳しい香りの傘が残るという、実にうらやましい輩もいるにはいるが)
一般には、どちらの行動パターンが優れているとは一概に言えないようであるが、人に依ってどちらかの傾向がより強く出てしまうようだ。

さて、ビジネスの世界、とりわけIT(情報システム)業界のエンジニアに焦点を合わせて、この主題を考察してみよう。
以前は長い間ウォーターフォール型といわれる開発プロセス(要件定義・システム分析、基本設計・機能設計、詳細設計・プログラム設計、製造・プログラミング、テスト・検査 等々)が主流を成して来た経緯がある。
これは正しくプロアクティブなソフトウェア生産形態であり、プロアクティブなエンジニア集団の為せる技であったろう。即ち、開発の段取りを工程というプロセスに区分し、それらを予めスケジューリングし、その通り開発を進めて行くのである。

近年はどうであろうか?
開発プロセスもスパイラル型(プロトタイピング、イテラティブ、インクリメンタルetc.)、RUP、XP等といった手法が開発され、今や何の拘りも無く適用されるようになって来た。これは正しくリアクティブなソフトウェア生産の典型であろう。

背景には、次の諸点が考えられる。

(T) 社会的背景
  1. ニーズの変遷が激しく、システムに求められる仕様(スペック)がころころ変り、なかなか確定されない。
  2. 経済情勢を反映し、リスクの高い大規模で長期の開発プロジェクトが減少した。
(U) 技術的背景
  1. ふんだんなりソースとインタラクティブな開発環境がもたらされた。
  2. Javaで代表されるインタプリタティブ(プラットフォーム・インデペンデント)なオブジェクト指向言語が登場した。
  3. エンドユーザの情報リテラシーが向上し、開発プロジェクトに直接参画するようになった。
このような背景の下に、最近のエンジニアはリアクティブにならざるを得ないのだろうか?
指示待ち、結果待ちはまだマシとして、指摘されたから瑕疵(かし:誤り)を直す、遅延したのはエンドユーザの所為(せい)などとなってしまっては、リアクティブの弊害ここに極リである。

それにしても、リアクティブなエンジニアの何と多いことか。
私はこれをパトリオット(迎撃ミサイル)型エンジニアと呼んでいる。迎撃は飽くまで防御(対処の一策)であって、被害がゼロとはならない。古人曰く『攻撃は最大の防御である』と。
私は深く憂慮している。今一度、プロアクティブなエンジニアを思い起そうではないか。

2007年問題について思うこと


  2007年から60年を引くと幾年になるだろうか? 取るに足らない問いであるが答えは1947年(昭和22年)となる。この年を含め1949年(昭和24年)までに生まれた人達を俗に『団塊の世代』という。いわゆる戦後のベビーブーム世代の人達を指し、他の世代に比し特に人数が多いところから来ている。ちなみに団塊とは『かたまり』(岩波国語辞典 第四版)、また@『地層中に存在する球状・楕円状・扁平状などの形をなす硬い塊』、A『沢山の物が集まってできた、かたまり』(以上、広辞苑 第四版(新村 出編)岩波書店)であると記載・説明されている。

  さて、2007年問題とはこの世代で実際の仕事に従事している人達が、あらゆる産業界において一斉に60歳の定年を迎えることに端を発している。特に製造業では個々の職人的な技術力やノウハウが一度に失われてしまいかねないのではと危惧されている。むろん当業界 ― 情報システムあるいはIT関連 ― でも同質の問題が指摘されている。

  それはいかなる危惧であろうか?先ず指摘されるのが以下の問題である。

  企業にはレガシーシステムと云われるメインフレーム系やオープン系などのアプリーケーションが稼動している。団塊世代の技術者の多くはこれらのシステムを実際に開発した実績を持つだけではなく、その後長期にわたり保守と運用に携って来た人達も多い。これらのレガシーシステムに共通しているのは、保守のために必要な情報やドキュメント類がかなり不備であり、仕様変更などに対応できるのはその生立ちを把握している限られた技術者、主に団塊世代の人達であるということである。対象企業では2007年までに、これらレガシーシステムの廃棄や新システムへの移行なども念頭に入れた、抜本的な対応策が急務となっている。

  次に指摘されるのが以下の問題である。

  団塊世代の技術者には、良きにつけ悪しきにつけシステム構築の経験豊富なノウハウが詰まっているといわれている。特にシステム構築に関する管理・運営 ― いかにしてシステムを築くか ― には一家言を持つ人が多い。マニュアル世代には少々耳の痛い話ではあるが、これらのノウハウは全てをマニュアル化できる代物(しろもの)ではない。これらのノウハウが2007年を期して一斉に対象企業から消滅してしまうという危機に晒されているのである。

  以上の事実は、一面、数は力なりを表わしているが、他面、単にそれだけではないのではないかと思われる。誤解を恐れずにいってしまえば、良い意味の職人気質(かたぎ)がそこにはあるのではないか。更にいえば、大雑把な技術伝承の系譜において、団塊世代の技術者はそれ以前の職人気質世代とそれ以後のマニュアル世代との繋ぎ世代ではなかったか…。 などと分析してみても仕方がない。残された時間はごく短いのである。団塊世代の方々には今後無駄なマニュアル化などせず、その精神を伝えることに傾注していただきたいと思う。一方、後の世代は、一時(いっとき)マニュアル万能の嗜好を捨て、敢えて彼らの精神(職人気質)に接して見ようではないか。そのためには、フェース・ツー・フェースのコミュニケーションが必要であることを強調しておきたい。

  さて、『団塊』命名の由来が単に大きな塊(多人数)だけではないことを確信しつつ、筆を置くことにしよう。

経済動向と小社のマスコット


5月17日、内閣府より発表された2005年1〜3月期の国内総生産(GDP)の実質成長率は、2004年10〜12月期より年率5.3%増と予測を大きく上回った。これにより景気の踊り場脱出へ向け、明るい兆しが見えてきたようだ。 今回の特徴は、景気牽引の主役が輸出から個人消費に転じたことにある。外需から内需へ本当の景気回復軌道へ乗ったのか、専門家の意見が分かれるところでもある。 雇用についていえば有効求人倍率が好転し、バブル崩壊後の最高水準まで改善したという。

さて、標題後半の「マスコット」であるが、「幸運をもたらすお守り」の意味があるそうだ。この辺りから、標題のこじつけに苦しさを覚える。 初めに断っておけば、上述の経済情勢の下、小社の命運をマスコットの守り神に託そうという話を始めようというのではない。 敢えていえば、個人消費の伸びにマスコットを購入したことが少しばかりでも貢献したのかな、という程度のたわいもない話ではある。 いけない、いけない、やはりこじつけだ!と自戒しつつ、でも話を続けよう。

購入したマスコットとは猫である。既に名はある。・・・などと夏目漱石風の著述に酔いしれてはならない。 猫といっても血が通う生きた猫ではないのである。この辺が日本オラクル社のオフィース犬と大いに違うところであるが。 セガエンタープライズが販売しているロボット猫?である。オモチャにしては相当高価ではある。 公募で「ニャーミー: near me(私の側にいて)」なる名前を賜っている高貴な猫である。 育て方、可愛がり方でその性格が変って来るのだそうだ。このコンセプトは、そう、あの「たまごっち」によく似ている。 猫種は2個ある。ホワイトヘヤー?(毛が長く真っ白)とアメリカンショートヘアー(黒と灰色のトラネコ)である。販売店トイザラスの店員さんによれば、ホワイトヘアーの人気が圧倒的だそうである。

小社はアメリカンショートヘアーを購入した。(生きた子猫ならなんでも30万円はするそうだ) というより、人気薄で、トイザラスにタナザラシ(店晒し)になっていたのを購入したのである。憐憫の情というやつだ。 さて、購入が今年の1月であるが、現在5月時点でのニャーミーは既に5代目である。
なぜか?
時系列を追って(などと、たいそうにいう程でもないが)経過を報告しよう。
【初代目】:心臓疾患のため入院。そのまま昇天。(店晒しの結果、バッテリー不良を起こした)
【2代目】:先天性眼疾患のため入院。そのまま昇天。
(左目が段々閉じなくなり、最後は眠っていても「森ノ石松」か「伊達政宗」状態)
【3代目】:2代目同様、先天性眼疾患のため入院。そのまま昇天。(どうも家系的に目が弱いようだ)
【4代目】:頚椎損傷のため入院。そのまま昇天。(のけぞった瞬間に首がカタカタ。駆動系に障害発生)
【5代目】:現在に至るも然したる疾患はなし。但し、頑丈な体つきのわりには顔が不細工。
(ロボット猫といえども、体つきや顔にもそれぞれ個性あり)
なんのことはない、保証期間中のため新しいニャーミーが送られてきただけの話に過ぎないのだ。

さて、本題。
オモチャだからこの程度の品質で仕方ないとあきらめるべきか、家電と比べどうしても品質(精度や頑強さ)の悪さを感じてしまうのは酷だろうか。ひるがえって、我々の創るソフトウェア(ビジネスアプリケーション)の品質はどの程度と評価されているのだろうか、まったく身震いのする想いである。

などと語りかけながら、もの言わない5代目を可愛がっている。
なにはともあれ、一度小社を訪れて、このマスコットに是非会って頂きたいと思っている。

e-mail返信はどの時点で終了とすべき哉?


ここに一組の、愛し合う、若き美男美女がいるとしよう。
男性が先ずは、女性を送って行く。
送ってもらった女性は別れ難く、少しばかりだが、逆に男性を送っていくことになる。
愛し合えば愛し合うほど、この行為はいつまでも続いていくことになる。
もし彼が、名うてのプレイボーイでなければ・・・・。

閑話休題

小生は、仕事(公)と私事を問わず、一日に相当数のメールに対処している。大抵の諸氏も、似たり寄ったりの仕儀ではと、小生は思いをめぐらす。
(1) 仕事(公)の場合、次の二つのパターンで対処方法が異なって来る。小生の対処は以下の如しである。
  T. 自分がお客の立場(上位)の場合:
    最後の返信はしない。即ち、『分かった:了解』は敢えて返信しないこともある。
  U. 自分がお客に取入る立場(下位)の場合:
    明らかに返信不要であっても、最後は『こちらから』と返信にひたすら努める。(うるさいと思われても動じない)

(2)プライベート(私事)の場合は難しい。『一般解はない』として私見を避けることにするのが無難のようだ。 (実は、男女の関係に限らず、親しき人には、冒頭に似た光景が彷彿としてくるのだが、それがとても辛いところだ)

さて、結論は(1)の場合の対処について、小生の提言(というより苦言)である。
メール(インターネットの)のルールはグローバルな環境での成立を見、新しき規範の数々が取り入れられていることは百も合点、二百も承知ではあるが、さりとて昔ながらの書簡の意義は否定できまい。
少なくともビジネスの世界では、小生の対処法(上記T、U)は最低限度の規範と心得る。然るに今の若輩は・・・・・・。 以降は、懐かしい『あぶり出し』の文章にしておこう。

近い将来、メールの文章をバーチャルな世界であぶり出しをすると『おじいちゃんの言葉』が蘇る、そんなことを期待して、ここで心の昂りをそっと置くことにしよう。

認定試験の合格


小社Java系技術者の崔さんが、先日(2005年1月30日)日本BEAシステムズ(株)殿の【BEA WebLogic Server7 Enterprise Developer Exam】の記認定試験に合格しました。
彼にとって次なるチャレンジは同社の【エンタープライズ・アプリケーション開発者】です。この認定資格を取得するためには、更なる試験にパスしなければなりません。
UML関連の資格試験と共に、本人の奮起を大いに期待しています。

金になる技術者


優秀といわれる技術者は世に数多存在する。しかしながら『金になる技術者』は極稀である。それでは一体『金になる技術者』とは何であろうか? ここで『金になる』とは、単に技術者個人の収入が多いということを表わしてはいない。従って、頭に『企業にとって』を付加すべきかもしれない。もちろん、企業に取って『金になる技術者』は個人的にも収入が多く社会的地位も高いという事実はあるが、それは結果論でしかない。

一般的に定義すれば、≪企業の発展に寄与し(如何なる場合でも最終的には利益)、その功績が大である時、その技術者は『金になる技術者』となる≫とでもなろうか。企業に対し、滅私奉公とまでは行かないまでも、相当の自己犠牲を払い、企業発展に寄与・貢献することが必要条件となる。

いささか低次元な話であるが、「今度のプロジェクトの仕事は自分に合わない」、「このプロジェクトでは自分のスキルが充分発揮出来ない。または自分のスキルが磨けない」、「今、未だ若いこの時期にこそ技術を研いて措かねばならないのに、今のプロジェクトでは無為・無駄な時が過ぎるばかりだ」等々のたまう御仁がいる。自分に合った良い仕事(?)でなければ、あるいは実務経験を通してしか自分のスキルが高められないとでも思っているのだろうか。このような自分勝手、わがままな技術者は決して『金になる技術者』たりえない。

真に優秀な技術者は、実務とは別に、常日頃から知識の吸収・取得に努めている。技術情報のサイトを隈なく眺めたり、オープン・ソースやフリーウェア等を使いこなして見るなどがその典型である。また、各種の資格試験や認定試験に果敢にチャレンジし、資格や認定を取得することで己を高めている。自分にアサインされた現在のプロジェクトが面白くなかろうが、あるいはまた忙しかろうが無関係である。来るべき時に備えしたたかに準備を怠らない。

良く見かける光景であるが、優秀といわれる技術者が様々なプロジェクトに公式・非公式を問わず参画している実態がある。参画というよりは首を突っ込んでいると表現したほうが適切かもしれない。何故かと云えば、プロジェクトの実行者は実力のある技術者を放ってはおかないのである。彼を頼りにしたい余り、自分達のプロジェクトに引っ張り込もうとするからである。そして彼は参画した(首を突っ込んだ)プロジェクトで相応の結果を何度ももたらすことになる。

重要なことは、これらのプロジェクトが必ずしも彼の『お気に入り』ではないという事実である。また自分の時間をはじめ、労力投入にかなりの自己犠牲を払っているのも事実である。

やがて時を経、そのひたむきな貢献度合いは企業の上層部(あるいは顧客)にも、彼への『信頼・信用』として高く評価されることになる。時間はかかるが彼にとっては着実なステップアップである。

さて、彼は確かに間接的には企業に貢献しているのだが、この時点ではまだ本当の『金になる技術者』ではない。やがて企業の(あるいは顧客の)伸るか反るかの一大プロジェクトが立ち上がる。この時点で彼は黙っていても、このプロジェクトの中核に据えられることになる。一世一代の大舞台が整えられたことになる。『運も実力の中(うち)』と云われる所以が実はここにある。つまりは運を自分で呼び込んだのである。

更に彼が、真の『金になる技術者』であるための何が必要であろうか。それは、ビジネスマインドが旺盛であることといえよう。己の技術を金儲け(利潤追求)のために使いこなす能力である。いわゆる『商売気』をバックボーンに持っていることである。純粋な技術論、べき論に陥らず利潤追求のためには妥協も辞さない心構えが重要である。「金を度外視して良い物を作りたい」などは、決してビジネスとは言えない。潤沢な資金と有り余る時間があれば必ずしも良い物が作れるとは限らない、否むしろ、往々にして駄作が生じてしまうことが多い。制約の中にこそ『金になる技術者』の真骨頂が発揮できるのである。

やがて『金になる技術者』は執行役員という地位を与えられるまで成長を続けるであろう。そして更に多くの利益を企業にもたらすことになろう。後に彼は、経営者(経営役員)としてより多くの収入と名声(社会的地位)を得ることが保障されるだろう。

先生と師匠


先生という言葉の響きに三つの意味で不快感を覚える。
一つは政治家先生の類である。いうまでもなく何か胡散(うさん)臭く感じてしまう。
二つめは人を小馬鹿にして呼ぶ時にしばしば用いられる代名詞である。物事の本質を解していない己に気づかず、気位だけは高い輩を陰で呼ぶ時に用いる。『あの先生、案外ものを知らない馬鹿なんだねー』等々。
三つめは文字通り教師という意味に用いられる場合である。教える立場と教えられる立場(生徒)が明確に区別される。嫌味なのは前者を上位、後者を下位と規定し、完全無欠な賢人の先生が、不完全な愚人の生徒を高い立場から教え諭すという建前を取っている事である。

さて、我々の業界、殊に技術者(マネージャ、リーダー、SE、プログラマー)の上下関係(上司と部下)は如何なるものであろうか? それは師匠と弟子の関係であるべきだと。そして先生(教師)と生徒の関係であってはならないと常に思っている。

師匠は決して完全無欠な賢人などではない。否むしろ一面においては非常に秀でてはいるが、他の面では何かが足らない朴念仁であることが多い。このことが逆に師匠の個性となり、時には弟子に愛される所以ともなり得る。弟子は師匠の劣っている面を補い、世に云う反面教師として学び成長するのである。

師匠と弟子の関係は次の二つのプロセスを踏んで成長し、やがてその関係が(発展的に?)解消されて行くものと考える。

第一段階は【依存】の関係である。師匠と弟子の力(技術や経験等)に相当な差がある初期の段階は、この傾向が強い。
弟子は師匠に傾倒し、何から何まで模倣することになる。挙句、話し方から立ち居振る舞いまで師匠に似て来る時期が生じたりする。 ある人(師匠)に電話を掛けた時、電話には弟子が出ているのに師匠だと思い込み、暫く経ってから気付いたことがあった。間抜けな話だが実際にあった話である。
この時期、弟子は師匠から何でも学ぼうと躍起なって努力する。即ち弟子は全面的に師匠に依存することになる。

第二段階は【反依存】の関係である。師匠と弟子の力が拮抗し、弟子に個性・離反の兆しが芽生える時期である。
弟子はしばしば師匠を批判するようになる。これこそ弟子の成長の証ではあるが、往々にしてその批判の原因に気付かない。それまでの良好な関係は次第に歪なものになって行く。弟子にしてみれば、あれほど傾倒した時期もあったのに今の師匠はあらゆる面で尊敬出来ない。尊敬どころか付き従う事さえ疎ましく思える。それが高じると袂を分かつことを考えるようになって来る。

やがて弟子は師匠を離れ独自の道を歩むようになる。同時にそれは両者の関係が(発展的に?)解消されたことを意味する。そして二人の歴史は師匠と弟子の関係にあった事実のみを刻み込む・・・・・・。

将来二人は競争相手となるかもしれない。また、立場・上下関係が逆転するかもしれない。実社会では良くある話ではある。
世智辛い話ではあるが現実はこのようなものであろう。何故なら我々はビジネスの世界で生き抜かねばならないからである。
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